安住録

未来を照らすための過去

前進したのかもしれない

 先週、学生証の更新手続きのために大学へ行って、そのついでに学生相談室*1に行ってきました。事前予約もせずにふらっと立ち寄っただけだったので、まさかその場で話を聞いてもらえるとは思いませんでしたが、運良く時間をとって頂くことができたので30分だけお話ししました。例によってぴーぴー泣きながら、「劣等感がとまらない」「卒論も就活もむり」と話を聞いてもらった結果、教授への橋渡しをしてもらうことになりました。

 2月に確定診断を受けてから、教授たちにも伝えたほうがよいだろうとは思っていました。既に留年したことで迷惑をかけていますし、今後じぶんの特性によってまた学科内に混乱を招く恐れもあるからです。ただ、なんと説明したらよいのかわかりませんでした。小学校や中学校の先生なら、発達障害に関する基本的な知識や対策などをある程度もっているだろうなと思います。しかし、大学の教授にそれらがあるのかどうか全く想像がつきませんでした。受け入れてもらえるか分からない相手に、障害のことを話すのはかなり労力を要する行為です。それをカウンセラーさんに委託できるというのは、本当に有難い話でした。

 

 そして今日、スクールカウンセラーさんと今回卒論を担当して頂く教授*2とで三者面談をして、私がADHDを抱えていること、具体的にどういうことが苦手で、卒論指導にあたってどのような配慮をお願いしたいのか、ということをカウンセラーさんから伝えて頂きました。

 もちろん、社会にでたら上記のようなことは自分だけで行なっていかないといけないのだと思います。だからいずれは私もできるようにならなくちゃいけないのでしょう。でも、いまの私にはそれは難しく、それが出来る自分を待っていたら、きっと2017年度も何もできずに終わってしまうのです。

 いま、自己肯定感が最低レベル*3にある私にとっていちばん大事なのは、いかにメンタルを揺らさずに生活していくかということ。本当に本当に些細なことで涙が止まらなくなるのが現状ですが、その頻度を出来る限り抑えたいと思っています。そのためには、ほぼ丸一年付き合わなければいけない「卒論」とその指導教員は、かなり重要になってくるというわけです。

 

 2016年度、私は卒論に対してずっと後ろ向きでした。4月の後半にあった卒論説明会のあと、指導教員からまだテーマがきちんと決まっていないことをこっぴどく叱られ(号泣)、完全にブルーなスタートダッシュ。結局指導教員への苦手意識がどうしても抜けず、一度も指導を受けずに留年が決まりました*4

 今回は、カウンセラーさんとの面談のなかで挙がった「写真」という分野で書いてみたいな、と非常に前向きな気持ちでいます。本当にどうしようもなく教養が身についておらず、写真好きと言いながらF値もよく分かっていない、写真家ときいて思い浮かぶのはロバート・キャパぐらい、といった人間なので、かなり苦労はすると思います。それでも、「好き」だと思えるものについて、少しだけでも詳しくなれたらいいなあ、という気持ちです。少しだけ詳しくなる程度では卒論は書けないですねすみません! がんばります!(笑)

 

 そんな感じで、すこしだけ前進できたのかなあ〜と思っています。今日はすこし晴れやかな気持ちで構内を歩けました。いい日だった。

 

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*1:無料開放のカウンセリングルーム。1回1時間。

*2:前回とは別の教授にお願いすることにした

*3:当社比。たぶん、春だから。

*4:このとき、卒論指導依頼を全くしなかったことについて嫌味を言われました。いや、仕方ないのだけれども……。