安住録

未来を照らすための過去

テスト

私は、自分は勉強が好きだ、とずっと思っていた。でもどうやら違ったらしい。私はテストのための勉強が好きで、テストで良い点を取ることで一目置かれるのが好きだったのだ。

私は高校までずっと、勉強ができる生徒だった。

テストの点数で張り合うのが好きだったし、テスト後に配られる成績表で「1位」の科目があると、すごくうれしかった。そういうときは普通に自慢もしていた。ちなみに私は、テスト前には「めっちゃ勉強した」と堂々というタイプだ。その代わり「勉強してない」と言っているときは本当に勉強してない。わかりやすい。

あの頃までの私の自己肯定感は、テストの成績で保たれていた。大学に入り、それまでとは異なる評価方法に狼狽え、じわじわとぼろがでていった。レポートってなんやねん。

 

今週のお題「テスト」

おなかがいたい

おなかがいたい。

ついさっき、深夜1時にも関わらず、チンジャオロース丼をぺろりと平らげたからだろうか。

食べたかったんだもん。

 

チンジャオロース丼は、セブンイレブンファミリーマートのものを食べたけど、なんとなくセブンイレブンのもののほうが美味しい気がする。たけのこが、たけのこ!ってかんじがする、みたいな。

 

コンビニにはずいぶんお世話になっている。

 

ほんとは自炊もしたいんだけど、自炊というよりは洗い物がしんどくなってしまう。一念発起して自炊を再開してみても、すぐ断念してしまう。んふー。

 

ローソンなら、「ごま油香る焼きビーフン」が美味しい。あと「わかめおにぎり」もローソンのものがいちばん美味しかった。

最近あんまり行ってないから他はわかんないなあ。

 

セブンイレブンは、NYチーズケーキが美味しかったのに今日行ったらなくなっていた。かなしい。

最近でたミニ丼シリーズが、そんなに食欲ないけど食べなきゃやばいな…ってときに良い。おかゆもあるよ。

あとは冷やし中華もファミマよりセブンのほうが具材が好きだった気がする。味に関しては、わたしは東海民なのでマヨネーズをたっぷり混ぜちゃうから、あんまりよくわかってない。

 

ファミリーマートは、やっぱりファミチキっておいしいよね。ついつい食べちゃう。

直巻おにぎりはファミマがすきだなあ。明太マヨとかすごく美味しくて、一時期そればっかり食べていた。最近は手巻おにぎりのツナマヨと昆布に安定したけど。

サーモンづくしっていうお寿司のパックがあって、前は3種2貫ずつくらい+ネギトロ巻だったのに、少し前に5貫入りになってちょっとかなしい。

 

なんかちょっとおなかすいてきたけど、たぶん気のせいだと思う。おわり。

 

番外編

カップラーメンは一平ちゃんがいちばんすき。*1

*1:むかし、「どう考えてもUFOやろ」と物凄い勢いで好みを押し付けられたこと、わたしはまだ根に持っています。

6月の映画キロク

 今月は旧作をたくさん観ましたよ〜! すきだったものには ★ をつけておきます。口調がごちゃまぜですがまあ読み物だとは思わないでください。

 
映画館

 『昼顔』、ドラマもリアルタイムで観てましたが映画も想像以上によかった。「べつにあのラストでなくてもいいのでは?」とも思うったけど……。とにかく構図萌えにはたまらない作品でした、ひゅう〜! そしてあの黒光りする肌が相変わらず生々しさを際立たせていてとてもよかった……。伊藤歩さんの演技には脱帽です。

 

 そして『花戦さ』がめっっっちゃくちゃ良かったのでぜひ観てほしい。

 狂言師野村萬斎×歌舞伎役者・市川猿之助

 って、本当に興奮しませんか? 私はします。どちらと「舞台の上」で披露される伝統芸能ですが、狂言と歌舞伎は全くちがうんですよね。私は今回まで知りませんでしたが、狂言って表情がつかないものらしいのです。それに対して、歌舞伎はご存知のようにここぞというときにバシッと見得を切る。あーたのしい(語彙力)。

 それから、かつて父親同士が共演している猿之助さんと佐藤浩市さんの共演もまた興奮します。ちなみにさっきから興奮する興奮するって言ってる情報はすべて鑑賞後に得た知識です。思い出し興奮です。観てくれ。

 

 『いつまた、君と』は、企画が向井理さん。前情報ゼロで観に行ったのですが、向井さんのおばあさまの手記をもとに作られた映画のようですね。そして、先日亡くなられた野際陽子さんの遺作にもなりました。作中で何度も登場する台湾のうた『何日君再来』を高畑充希ちゃんが歌うエンドロールは"必聴"です。

 

その他

 いやー、『繕い裁つ人』といい、『しあわせのパン』といい、三島有紀子監督が大正義すぎて本当にどうしようという気持ちです。もうこれは恋だと思う。

 『繕い裁つ人』は言わずもがな「あの」光が射し込む部屋のショットが美しすぎて惚けます。全然予定はしていなかったのに、その光をみた瞬間にその場にいる全員が「いましかない」とあのシーンを映そうと奮闘したという話をしているのを見て、本当にいいチームだったんだろうなあと。

 『しあわせのパン』は、パン食べたい。以上です。いやもう良すぎてなにを言えばいいかわかりません、Amazonプライムビデオ対象作品なのでとりあえず観てください。

 同じ三島監督の『ぶどうのなみだ』もauビデオパスにてゲットしたのではやく観たいと思います。

 

 『初恋』は、宮崎あおいちゃんがとてつもなく可愛いJKでとても天使。そして小出恵介くんは本当に良い役者だと思える作品で、このタイミングで観てよかったなあと思います。本当に彼は、昭和チックなインテリ役が似合う……。ちょっと違うかもしれないけど、『ジョーカーゲーム』の小出くんもすっっっごく魅力的で蕩けました。

 この作品もグッとくる構図があって、たとえばなにかの隙間から対象を捉えるとか、そんなかんじの「三億円事件の犯人の動向を覗き見る」みたいな、ちょっとメタっぽく感じるようなショットがあったかな〜と思います。よくわかりません。

 

授業

 近松門左衛門人形浄瑠璃の演目を映画化したもの。溝口が属していた新派映画と呼ばれるグループは、歌舞伎などを映像化していたらしく、この作品にも歌舞伎の要素がみられる。ちょうど歌舞伎座で「浮世風呂」を観てきたところだったので「うおお〜歌舞伎みがつよい〜〜〜!」と1人ですごく楽しみながら授業を受けていました。日本映画界の巨匠ですから映像も文句なし。ワンシーン・ワンショットもディープフォーカスもすきなので、もっと溝口作品を観ていきたい!

 

7月公開観たい映画
  • メアリ
  • ここさけ
  • たくさんあって挙げるのめんどい

 

おわり!

23

 こんにちは、安住いちです。24日に誕生日を迎え、不本意ながらも23歳になってしまいました。
 
 高校生のころ、いろんなひとから「おめでとー!」と言われていたことを思い出します。大学にあがってからも、2年くらいはフェイスブックやらツイッターやらで、たくさんの知人たちから「おめでとう」という言葉をもらっていました。
 大学にあがって5年目の昨日もらった言葉は、かつてにくらべると、ずいぶんすくなくなりました。
 でも、ああ幸せだなあ、愛されているなあ、と感じるきもちは、かつてよりむしろいまのほうがずっと強くなりました。
 
 22歳のわたしは、とても頑張っていたとおもいます。
 もちろん、留年したりバイト先の店長と超短期間交際(=遊び)をしたり、褒められた人間ではありませんでした。
 それでも、ああがんばったね、よく生きたね、と自分に言ってあげたい気持ちは人一倍つよいです。
 
 実は、わたしはこの誕生日を迎えるのが心底嫌でした。なんの生産性もない人間が、歳を重ねていいのかと、すごくすごく落ち込みました。わたしは22年間、なにも考えずに生きてきたので、誕生日を迎えるのが嫌だったことなどありませんでした。嫌で嫌で仕方がない、と吐露する自分に、かなり動揺しました。
 それでも、朝起きて、大切な友人たちから「おめでとう」とメッセージがきているのをみて、ああよかったなあと、心のそこから幸せを感じました。
 
 メッセージをくれたひとも、そうでないひとも、ぼんやりとでもわたしのことを思い出してくれたすべてのひとに、感謝したいなあと、パフォーマンスでなくおもいます。
 ありがとうございました。
 
安住いち

住所録

を、つくろうとおもっていまして。

なぜかといえば、わりとまじで自分がいつ死ぬかわからないな、という気持ちが日に日に増していってることが大きな理由です。

そして、もしわたしが突然死ぬことになったとき、両親はどうやってわたしの大切な人たちに連絡をとってくれるんだろうか? という心配も、自然な流れとして湧いてきます。

 

地元の友人たちは、なんらかの形で連絡がとれるだろうと思うのです。たとえば担任だった先生に連絡がとれれば、なんとか報せくらいはいくでしょう。

 

でも、じゃあインターネットで知り合った大切なひとたちはどうなるのか。

わたしがいま頻繁に/真剣に連絡をとっている大切なひとたちの多くは、インターネットで知り合いました。

学校のひとに言えないことをたくさん聞いてもらったし、しんどそうにしていたら心配でいてもたってもいられなくなって、逆に負担かもと思いながらも電話をかけたり言葉を送ったりしてしまうような相手ばかりです。

 

そんなわたしにとって大切なひとたちとのつながりを、両親は現時点ではぼんやりとしか知らないでしょう。名前や「仙台に住んでる友だちが」のように話題にすることはありますが、それがどういう子で、どういうふうに救われてきたのか、という詳細を話したことはありせん。

でも、きっとわたしが望んでいるのは、両親には連絡先だけがわかればいい、というものではないのでしょう。

 

わたしが生きているとき、その人たちにどれだけ救われたのかを知ったうえで、それ相応の連絡をしてほしいんだとおもいます。

 

とか、書いていて、おそらく「わたしにとって大切なひとたち」にとって、このブログは重すぎるんだろうなあ、とか、おもいました。

 

でも、エンディングノートは常に頭に置いておかなくちゃ。

パソコンでつくってもいいけど、なんだか無機質でいやだなあ。

既成の住所録は、なんだか味気ないし、項目の自由度も低いのよね。

 

そんなふうにぼんやりと、わたしの訃報に想いを馳せるのです。