安住録

未来を照らすための過去

むきあう

 向き合うって、すごく勇気がいりますよね。

 ひとに対してももちろんそうだし、それ以上に、自分自身と向き合うということは目を背けたくなる事実をじっと見つめなければいけないので、意識しないとまずできないし、意識しても完璧にできるひとなんていないのではないでしょうか。

 

 さて、わたしは昨年の10月末にある事件を起こしました。事務的な手続きの遅れにより、卒業が一年、先送りになったのです。わたしの大学は、単位の申請をウェブシステムで行うのですが、その締め切り日をきちんと確認せずにいたため、申請が「始まった」日は把握していた*1ものの締め切りに間に合わず、結果単位が足りず留年となりました。

 そもそも四年の後期まで卒業に必要な単位が残っていることや、後期の授業開始から履修申請終了までの期間にいちども大学に行っていなかったこと自体が間違っているのですが、ここから、かねてより疑いを持っていたADHDについて本格的に調べるようになりました。

 

 また、昨年8ヶ月ほど勤めていたカラオケ店でも、「ADHDかもしれない」という考えを強めることがありました。

 留年が決まったのと同時期に、ある問題を起こしてバイトを謹慎になりました。そこからわたしには「バイトを続けるのであれば、マイナスをプラスにするための努力をし続けなければならない」という、大きなプレッシャーが自他からかけられるようになりました。

 そんなプレッシャーのなかで、(曰く付きではあるものの)バイトリーダーとしてマルチタスクをこなさなければいけませんでした。わたしは社員不在のお昼の時間帯責任者を任されていたため、多くの業務がのしかかってきます。他のスタッフへの指示出しや教育、入退室の受付、インターフォン対応、外線対応、フードやドリンクの作成。お昼どきはフードのオーダーが立て続くこともしばしばありましたが、フードをつくれるのはわたしだけ。他のスタッフを育てなければいけないという重圧と、お客さんを待たせてはいけないという重圧でパンクの日々。

 プレッシャーだけ、マルチタスクだけ、だったらひょっとするとそこまで深刻に考えてはいなかったかもしれません。しかし、現実はそのふたつが重なった状態が2ヶ月ほど続きました。毎日のように「やべっ忘れてた!」ということがあり、フードやドリンクを出し忘れたり、10分前コールを忘れたり、時にはフライパンを火にかけたことをすっかり忘れて炎があがったこともありました(……)。昼間はドタバタ駆け回って、社員が出勤するなり怒られて、心身ともにぼろぼろだったなあと思います。辞めてよかった。ひとの携帯をみるのも自分を守る方法のひとつになるのだなと思いました(※違います)。

 

 留年とバイト、ふたつのことが重なって、ついに昨年末、自身と向き合うためにも、受診することを決意。しかし、決意してからも様々なとんちんかんを繰り返し、予約を二回のばすなどしました……。昨年師走のわたしは、いつにも増してポンコツでした。

 現在は無事に通い始めて、いろいろな検査を受けました。このあいだ、心理検査の結果がでて、いままで言語化したことのなかった、でもどこかでぼんやりと自覚していた弱点をがつんと思い知らされて、すこしくらくらしました。

 わたしが苦手なこととして挙げられるのは、以下のものでした。

 

  • マルチタスク
  • 自分の考えを言語化すること
  • 長期記憶
  • プレッシャー、不安、焦りのなかで記憶すること
  • 答えを模索し続けること

 

 よって、逐一メモをとったり、todoを作成したりすることがとても大切になってくるのですが、そういった行動をとる、予防線をはるという発想すら出にくいのです。最近は夜寝る前に無印良品のチェックリストで翌日すべきことを書き出す習慣をつけるように意識しています。

 

 留年したことで、もちろん就職活動もやりなおしです。

 昨年新卒で採用していただく予定だった企業は、単発インターンから担当さんと仲良くさせていただいたこともあって、かなりはやく内定を頂いたため、就活二年生にもかかわらず面接は三回、一社しか受けていません。しかも、3分の2がすでに顔見知りの面接官でした。

 しかし、今回はそうはいかないでしょう。プレッシャーのかかる場面がぐんと増えます。正直に言って、とても自信がありません。そもそも自分が企業に勤めているビジョンが、一年前とちがって、まったく見えないのです。

 

 まだ確定診断がでたというわけではないと思っているのですが、先週からADHDむけのお薬(ストラテラ*2)も処方されるようになりました。

 ADHDが確定した場合、ADHDのことを最大限考慮して就活をするのか、定型発達者とおなじように就活をするのか、それによって変わってくることもあると思います。大学のキャリア相談も、ADHDについての知識をもった方にお願いすることにしました。キャリア課の受付のおにいさんに「キャリア相談受けたい、ADHDについて詳しい人はいるか」と訊いたところ、なかなか珍しい相談だったようで、かるくテンパって相談内容を再確認するときに「え、っと、LGBTについてだっけ!?」と言われました(おなじアルファベット4文字だけど、ぜんぜんちがうよ!)。それでも、相談員の方を待っているあいだすごく気を遣ってくださって、有難かったです。

 

 すこしずつ自分の特性と向き合っていければいいなとおもいます。就職前にいちどゆっくり受診する機会を設けられた、という点では、留年も必要だったのかな、と思っています。親や教授や内定先の方からは「ふざけんな」と怒られそうですが……。

 きっとわたしにとって人生のターニングポイントは「22歳の冬」になるでしょう。

 

 苦手なことのひとつに「自分の考えを言語化すること」というのを挙げたとおり、わたしの文章はとても読みにくかったと思います。今回ばかりは、最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

 それでは!あでゅー!

*1:じつは、教授から「明日からですよ」と言われていました

*2:副作用がつらいです。お薬代がかなり高くてびっくりしました……。