安住録

未来を照らすための過去

23

 こんにちは、安住いちです。24日に誕生日を迎え、不本意ながらも23歳になってしまいました。
 
 高校生のころ、いろんなひとから「おめでとー!」と言われていたことを思い出します。大学にあがってからも、2年くらいはフェイスブックやらツイッターやらで、たくさんの知人たちから「おめでとう」という言葉をもらっていました。
 大学にあがって5年目の昨日もらった言葉は、かつてにくらべると、ずいぶんすくなくなりました。
 でも、ああ幸せだなあ、愛されているなあ、と感じるきもちは、かつてよりむしろいまのほうがずっと強くなりました。
 
 22歳のわたしは、とても頑張っていたとおもいます。
 もちろん、留年したりバイト先の店長と超短期間交際(=遊び)をしたり、褒められた人間ではありませんでした。
 それでも、ああがんばったね、よく生きたね、と自分に言ってあげたい気持ちは人一倍つよいです。
 
 実は、わたしはこの誕生日を迎えるのが心底嫌でした。なんの生産性もない人間が、歳を重ねていいのかと、すごくすごく落ち込みました。わたしは22年間、なにも考えずに生きてきたので、誕生日を迎えるのが嫌だったことなどありませんでした。嫌で嫌で仕方がない、と吐露する自分に、かなり動揺しました。
 それでも、朝起きて、大切な友人たちから「おめでとう」とメッセージがきているのをみて、ああよかったなあと、心のそこから幸せを感じました。
 
 メッセージをくれたひとも、そうでないひとも、ぼんやりとでもわたしのことを思い出してくれたすべてのひとに、感謝したいなあと、パフォーマンスでなくおもいます。
 ありがとうございました。
 
安住いち