安住録

未来を照らすための過去

住所録

を、つくろうとおもっていまして。

なぜかといえば、わりとまじで自分がいつ死ぬかわからないな、という気持ちが日に日に増していってることが大きな理由です。

そして、もしわたしが突然死ぬことになったとき、両親はどうやってわたしの大切な人たちに連絡をとってくれるんだろうか? という心配も、自然な流れとして湧いてきます。

 

地元の友人たちは、なんらかの形で連絡がとれるだろうと思うのです。たとえば担任だった先生に連絡がとれれば、なんとか報せくらいはいくでしょう。

 

でも、じゃあインターネットで知り合った大切なひとたちはどうなるのか。

わたしがいま頻繁に/真剣に連絡をとっている大切なひとたちの多くは、インターネットで知り合いました。

学校のひとに言えないことをたくさん聞いてもらったし、しんどそうにしていたら心配でいてもたってもいられなくなって、逆に負担かもと思いながらも電話をかけたり言葉を送ったりしてしまうような相手ばかりです。

 

そんなわたしにとって大切なひとたちとのつながりを、両親は現時点ではぼんやりとしか知らないでしょう。名前や「仙台に住んでる友だちが」のように話題にすることはありますが、それがどういう子で、どういうふうに救われてきたのか、という詳細を話したことはありせん。

でも、きっとわたしが望んでいるのは、両親には連絡先だけがわかればいい、というものではないのでしょう。

 

わたしが生きているとき、その人たちにどれだけ救われたのかを知ったうえで、それ相応の連絡をしてほしいんだとおもいます。

 

とか、書いていて、おそらく「わたしにとって大切なひとたち」にとって、このブログは重すぎるんだろうなあ、とか、おもいました。

 

でも、エンディングノートは常に頭に置いておかなくちゃ。

パソコンでつくってもいいけど、なんだか無機質でいやだなあ。

既成の住所録は、なんだか味気ないし、項目の自由度も低いのよね。

 

そんなふうにぼんやりと、わたしの訃報に想いを馳せるのです。

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