安住録

未来を照らすための過去

てがみ

 てがみが好きです。書くのも読むのも好き。

 

てがみを書く

 自分の感情や考えていることをことばにするのはすごく苦手で、下書きやプロットのようなものを作ることもできない*1から、いつもきまって支離滅裂なてがみになってしまうのだけど、それでも誰かへ宛てたてがみを書きあげたときの高揚感とか、気持ちが伝わるといいなあというドキドキとか、そういう瞬間がとても好きです。

 誰かに想いをこめて綴っていると、ときどき、はっとするような知らなかった自分に出会えることがあります。もしかしたらそれは、手紙を宛てたひとに対する「見栄」とか「自分のことはこう思ってほしい」とかいう、無意識にしてしまっている印象操作のようなものの産物かもしれません。

 それでも、たぶん自分のうちから零れでた自分の姿。それに、「自分が相手にどう見られたいと思っているのか」ということを知るのも、自己認知に必要な大切なステップなのかもしれませんね。

 最近万年筆を導入したので、相手や内容に合わせたてがみのバリエーションも増えました。縦書きにしたり横書きにしたり、丁寧な字で書いたり可愛らしい字で書いたり。

 

てがみを読む

 相手が自分のためだけに机に向かってくれた時間を想うと、ときめいてしまいます。ふだんSNSで連絡をとりあっている相手からのものでも、なんとなく違う心もちで読んでいるような気がします。

 相手がつかう便箋や封筒、添えられた装飾などに心が躍ることも多々あります。自分ももっているものだとなんだか嬉しいし、見たことのない可愛いものだとついつい文房具屋さんで探してしまいます。

 先日、恩師からてがみが届きました。先月半ばに、留年や障害のことを報告するために送ったてがみのお返事で、きちんとした封筒にきちんとした便箋、そしてきちんとした文字で認められていました。恩師は高校の国語教師だったのですが、少ないことばのなかにいろんな想いがこめられているのだろうなあと感じられる内容で、たった3頁の短いてがみで私の心はとても震え、涙が溢れました。てがみを送ったあとは自分のエゴでしかないと落ち込んでいましたが、返事を読み終えて「書いてよかった」と心底思いました。なにかあったらまた連絡を、と電話番号も添えられていて、また拠り所が増えたような気分です。

 

 これからもいろんなひとにてがみを送りたいなあ。この時代だからこそ、文通がしたくなりますね。文通相手募集します!(笑)

 以上です、あでゅー!

*1:作ってるうちにやる気がなくなってしまう