安住録

未来を照らすための過去

#メディカルID を設定しよう

 こんばんは。いつもならとっくにきているはずの睡魔がこず、どぎまぎしている安住です。さてさて、皆様「メディカルID」をご存知でしょうか? メディカルIDは、iOS 8以降に初期インストールされている「ヘルスケア」アプリ内にあり、

氏名、緊急連絡先、生年月日、血液型などを登録しておくことで、万が一の時に、必要な情報を第三者へ開示することができる機能*1

 です。ロックがかかった状態からパスコードを入力せずにアクセスが出来るため、緊急時の本人確認・血縁者への連絡などに役立てられているようです。

 

 私は昨年の11月までこの機能をよく知りませんでした。当時はヘルスケアアプリも殆ど開いていなかったし、「緊急時」が自分に起こるという発想も全くと言っていいほどもっていませんでした。

 そんな私がメディカルIDを設定しよう、と思ったのは、大学の友人が急逝したことがきっかけでした。11月半ば、つい前日まで連絡を取り合っていた友人が、くも膜下出血により倒れ、5時間後に息を引き取りました。倒れたとき彼女は外出先で、携帯にはロックがかかっていたためご家族とは連絡がつかず、そのまま亡くなってしまったのです。23歳という若さで、家族に看取られずというのはあまりにも寂しすぎると、今でも胸を裂かれているようなきもちになります。

 

 ご葬儀のあと、彼女のお姉さんがフェイスブックの「知り合いかも?」に現れました。お姉さんのページを開くと、そこにあったのが「メディカルID」についての投稿です。

 メディカルIDは、セキュリティや個人情報保護の観点から見ると、あまりよくないのかもしれません。自身の姓名や生年月日、既往歴だけでなく、(緊急連絡先に設定した場合)家族の電話番号なども画面に表示されるためです。

 しかし、いつどこで自分が気を失うか、どんな発作を起こすか、全くわかりません。100%「そんなことはありえない」と言えるひとなんていないのではないでしょうか。社会人の健康診断がどのくらいの精度で病気が見つけられるのかわからないので、なんとも言えないですけど。私は大学入学以来自分のからだに自信がなくなる一方なので、お姉さんの投稿を見てすぐに、メディカルIDを設定しました。

 上述のように個人情報の不安もあるので、緊急連絡先を設定する前に一度家族で話し合うなどするとよいかもしれません(緊急連絡先には家族以外にも、友人や恋人、主治医なども登録できます)。

 

 以前の私のような、メディカルIDについて「よく知らない」というひとが、ひとりでも減ったらいいなあと思います。もちろん、設定するか否かは自己判断ではありますが。

 メディカルIDは、「ヘルスケア>メディカルID」から設定でき、ロック画面の「緊急>メディカルID」から参照できます。

 

 もう一つこの記事に書いておくべきなのは、携帯にはバッテリー残量という制約があるということです。また、残念ながらすべての医療従事者や救急隊員がメディカルIDのことを認知できているわけでもないそうです。

 そこで、スマホ上でメディカルIDを活用するとともに、紙ベースの緊急連絡先も携帯しておくとよいと思います。恐らく突然倒れたひとがいれば、なんらかの形で確認されるのがお財布だと思われるので、身分証明書のちかくに入れておくと気付かれやすいのではないでしょうか。こちらも、個人情報という懸念点はありますので相談の上で実行したほうがよいかもしれませんね。

 

※なお、Androidには「メディカルID」という標準機能はないようです。ロック画面からパスコードを入力せずにアクセスできる緊急連絡先の設定は、「連絡先」から出来るようです。

 

 メディカルIDはあくまでも「転ばぬ先の杖」であって、なによりも「もしも」が起こらないことが大切ではあります。しかし、私の友人のように家族に看取られずに亡くなるというのはあまりに辛い。一度、検討してみてくださいね。以上です。

敵と味方、それ以外のもの

 週に一回、大学の学生相談室でのカウンセリングが続いています。基本的に否定はされないし、スモールステップをきちんと理解してくれていて端々にお褒めの言葉を挟んでくださる。いままで4年間ひとり暮らし頑張ってきましたねと何度も言ってもらえるので、かなり自己肯定感が高まっているような気分になります。もはや麻薬なのでは? ドーパミンどばどばですよね。こうなると卒業後が心配です。

 そんなカウンセリングのなかでふと口をついた「敵/味方」思考についての覚書というか疑問。

 

 私はかなり「敵/味方」思考が強く、基本的に一度敵認定した相手のことはずっと敵だと思ってしまいます。今までも今後も、ひとと接していく上ではかなり損な性質だというのは自分でも分かっているのですが、一長一短に矯正できることではなさそうです。

 そもそも、皆さんは敵と味方以外にどのような認識をしているのでしょうか。特に、自分に対してなんらかの精神的/物理的ダメージを与えてくるような相手に対して、どのようなラベリングをしているのでしょうか。

 私は基本的に精神的ダメージを与えてくるようなひとのことは敵とみなします。被害をうける人物は自身に限らず、味方と認識しているひとがそうであっても敵認定することがしばしばあります。そして、敵に対するネガティヴな感情は殆どの場合消えることがなく、半永久的に敵となります。「許す」ということが人一倍下手くそで、かつ、上手くなろうという気もあまりありません。むしろ、「許さない自分を許す」というモットーのようなものもあります。

 

 皆さんは、違うのでしょうか? 嫌味ではなく、純粋に気になります。確かに相手に与えられたはずのダメージをどのように克服し、どんな感情を経て許しているのでしょうか。増田で書くべきだった感がすごいですね。終わります。

にちようのあさ

 いえ、ニチアサと呼ばれるアニメ枠の話をしたいわけではなく。

 

 日曜の朝にひさびさに活動している。といっても能動的にあれこれやるというわけではなく、大好きな映画を観にきたのだ。先日、『夜は短し歩けよ乙女』を観ようと思って最寄りの映画館のスケジュールを開いたら、そこに見知ったタイトルが並んでいた。ロベルト・ベニーニライフ・イズ・ビューティフル』(1997)。大学3年のときにひとからオススメされて観た作品だった。こんなにも幸せであと味のすっきりした戦争映画*1があるのかと感動したのをよく覚えている。好きな映画のひとつになった。『ライフ・イズ・ビューティフル』が、「午前十時の映画祭」という毎年恒例・長期にわたるイベントで上映しているらしかった。これは観るしかない。2週間限定の上映のため、今日を逃せば、てんやわんやしているうちに上映が終わってしまいかねない。正直もう少し布団のなかにいたかったが、無理やり起きて朝マックでこれを書いている。

 「午前十時の映画祭」、毎年やっているのはなんとなく知っていたものの調べたことはなかった。今回初めて知ったのだが、プレミアスクリーンで上映する*2のにチケットが大学生500円(一般1100円)という破格の値段だった。もっと早く知っていれば、もっといろいろな作品に出会えたのに……と後悔しつつ、これも留年したお陰だなと昨年10月の私に手を合わせた。

 さて、お楽しみのはじまり。続きは鑑賞後に書こう。

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 映画を観たあと、ちかくのスーパーの一角にあるカレー屋さんのカレーを食べた。いまは、大学の研究室からエディタを開いている。雨天、日曜というすばらしい条件のおかげであたりは静かだ。雨の音に混じって時たま車のエンジン音が聞こえる。

 『ライフ・イズ・ビューティフル』。ストーリーは知っているから、収容所へ連れていかれる車のなかでジョズエに嘘をつくグイドを眺めていたら泣きそうになってしまった。同じ映画でも自宅の小さなディスプレイと大きなスクリーンで観るのとでは全く幸福度が違う。やはり映画は映画館で観るに限る。公開間もない若者向け映画とは違って、少し旧い作品だから上映中に喋ったりスマホを点けたりする客もおらず、リクライニングする座席でゆったりと寛ぐことができた。幸せだった。ひとつ失敗したなと感じたのは座席の前後位置くらいだ。次はもう少し前めに席をとろう。

 次の作品はジャン=ピエール・ジュネ『アメリ』(2001)だ。そしてアルフレッド・ヒッチコック『裏窓』(1954)、フランク・ダラボンショーシャンクの空に』(1994)と続く。『裏窓』と『ショーシャンク』は授業で観たことがあるが、『アメリ』はまったくの初見。すごく楽しみだ。その後も続々と「名作」と呼ばれる作品が名を連ねている。東京に住み続ければ今後もチャンスはあるかもしれないが、いまは来年自分がどこでどう生きているかのビジョンが全く見えない状況だ。だから、このチャンスを逃さないように、日曜の午前十時からのニ時間は、映画を観るために予定を空けておこう。

*1:便宜上。

*2:最寄りの映画館の場合。

てがみ

 てがみが好きです。書くのも読むのも好き。

 

てがみを書く

 自分の感情や考えていることをことばにするのはすごく苦手で、下書きやプロットのようなものを作ることもできない*1から、いつもきまって支離滅裂なてがみになってしまうのだけど、それでも誰かへ宛てたてがみを書きあげたときの高揚感とか、気持ちが伝わるといいなあというドキドキとか、そういう瞬間がとても好きです。

 誰かに想いをこめて綴っていると、ときどき、はっとするような知らなかった自分に出会えることがあります。もしかしたらそれは、手紙を宛てたひとに対する「見栄」とか「自分のことはこう思ってほしい」とかいう、無意識にしてしまっている印象操作のようなものの産物かもしれません。

 それでも、たぶん自分のうちから零れでた自分の姿。それに、「自分が相手にどう見られたいと思っているのか」ということを知るのも、自己認知に必要な大切なステップなのかもしれませんね。

 最近万年筆を導入したので、相手や内容に合わせたてがみのバリエーションも増えました。縦書きにしたり横書きにしたり、丁寧な字で書いたり可愛らしい字で書いたり。

 

てがみを読む

 相手が自分のためだけに机に向かってくれた時間を想うと、ときめいてしまいます。ふだんSNSで連絡をとりあっている相手からのものでも、なんとなく違う心もちで読んでいるような気がします。

 相手がつかう便箋や封筒、添えられた装飾などに心が躍ることも多々あります。自分ももっているものだとなんだか嬉しいし、見たことのない可愛いものだとついつい文房具屋さんで探してしまいます。

 先日、恩師からてがみが届きました。先月半ばに、留年や障害のことを報告するために送ったてがみのお返事で、きちんとした封筒にきちんとした便箋、そしてきちんとした文字で認められていました。恩師は高校の国語教師だったのですが、少ないことばのなかにいろんな想いがこめられているのだろうなあと感じられる内容で、たった3頁の短いてがみで私の心はとても震え、涙が溢れました。てがみを送ったあとは自分のエゴでしかないと落ち込んでいましたが、返事を読み終えて「書いてよかった」と心底思いました。なにかあったらまた連絡を、と電話番号も添えられていて、また拠り所が増えたような気分です。

 

 これからもいろんなひとにてがみを送りたいなあ。この時代だからこそ、文通がしたくなりますね。文通相手募集します!(笑)

 以上です、あでゅー!

*1:作ってるうちにやる気がなくなってしまう

Filmarks試写会のすヽめ。

 「Filmarks」というアプリをご存知でしょうか。

Filmarks(フィルマークス)- 映画レビュー・メモ・鑑賞記録

Filmarks(フィルマークス)- 映画レビュー・メモ・鑑賞記録

  • 株式会社つみき
  • エンターテインメント
  • 無料

 Filmarks は、株式会社つみきの提供するソーシャル映画サービスです。映画のレビューをかいたり、観たい映画メモに使ったり、Filmarks 内の「FILMAGA」というメディアで独占インタビューが掲載されたりと、比較的充実した内容になっているのではないでしょうか。他のサービスに浮気したことがないので想像なのですが。

 

 私はかれこれ3年ほどこの Filmarks というサービスにお世話になっているのですが、そのなかでも特にありがたいのが Filmarks試写会 の存在です。

 通常、映画の公式HPや映画館で応募できるような試写会は「2名1組」であることがほとんとです。映画はひとりで観る派の私は、この時点で脱落してしまいます。もちろん、試写会という特別な環境なのだから、たまには誰かしら誘って応募するという選択肢もありますが、そもそも試写会に行くほど観たい映画が被る友人も残念ながらあまりいません。

 しかしこの Filmarks が不定期に参加者を募る試写会は、「1人での参加」が前提となっていることがほとんどなのです! これはとてもとてもありがたい。時間帯としては普通の試写会とあまり変わらず、平日の19時ごろから上映開始なことが多いかなあといった印象です。

 

 私は過去に3回、この Filmarks試写会 に当選しました。『ソロモンの偽証 前篇』(東京国際フォーラム)、『オン・ザ・ハイウェイ その夜、86分』(恵比寿ガーデンシネマ)、そして昨日公開された『ムーンライト』(ユーロライブ)のみっつです。

 前述の通り私は普通の試写会に応募したことがないのでそもそもの試写会競争率がどのくらいかは分からないのですが、Filmarks ユーザ限定の試写会がいくつもあるため、比較的当たりやすいのではないかなと思います。Filmarks ユーザ限定試写会は、たいてい小規模会場で座席は早い者勝ちです。国際フォーラムのような大きいところでやる、各媒体同時募集の試写会は、指定席でおそらく Filmarks 用に確保されてる席はそんなによくないです。狙い目は小さめの映画館でやる試写会ですね!

 

 恐らく私程度のブログ記事では、 Filmarks 試写会の応募率がぐんとあがることはないでしょう。実際に始めてみないと分からなさそうな 、Filmarks の魅力について書いてみましたの巻、でした。おやすみなさい。